昔は当たり前。
だから、今も当たり前
樽酒(たるざけ)に菰(こも)は“付きもの”だが、樽酒に菰を“付ける”職人の存在やその作業については、あまり知られていない。
酒が入った4斗(72リットル)樽の重量は、約90キロ。普通の人間には移動させるのもひと苦労だが、菰職人はその樽を巧みに転がし、ときにひっくり返し、さらに「針」と呼ばれる道具で藁(わら)を編み込み、両手両足を使って樽を菰で包み込む。ひとつの4斗樽に菰を巻き終えるまでの約20分間、常に体は動かしっぱなし。しかもその間、藁の長さに合わせて巻き方を少しずつ変え、形も整え、なおかつ注ぎ口がロゴの下にピタリとくるよう計算もする。頭で考えるよりも先に、体が動く。「巻き付ける」というよりも「着付ける」という言葉が似合う、まさに熟練技といえる。
菰職人の仕事は、いわば“本番一発勝負”。失敗が許されない緊張感のなか、職人は一度も口を開くことなく、なにかに取り憑かれたかのように全神経を研ぎ澄ます。ただ、菰を巻き終えた瞬間、でき上がった菰樽(こもだる)を正面からじっと見つめ、小さく息を吐くようにひと言。「よしっ」。それは、自分自身の仕事に対する納得や自信の現れであり、同時に、自分自身が着付けた“正装”の剣菱を「行ってこい」と送り出す静かな掛け声でもある。
樽の外側に巻く菰が、樽のなかの酒の味を旨くすることはない。それは百も承知。それでも、昔と変わらぬ素材と作業で、手を擦り切らせながら菰樽づくりに汗を流す。
江戸時代、樽酒を船で江戸に運ぶ際の“緩衝材”的な役割を担っていた菰。最盛期には年間100万樽もの「下り酒」が菰に巻かれ江戸へと積み出されていた。瓶が主流の今、菰樽そのものが昔のように当たり前のものではなくなったが、菰職人にとって、その作業は昔も今も“ただの梱包”。自分たちは職人でもなければ、特別なことをしているわけでもなく、ただ当たり前のことをしているに過ぎない。そんな精神で、黙々と菰樽に向き合う。
「よしっ」。職人の静かな掛け声のもと、今日も“正装”に身を包んだ剣菱がお客さまのもとへと送り出されていく。