科学を凌駕? 先人たちの偉大な知恵
暖気樽(だきだる)とは、なかに熱湯を詰めて酒母(しゅぼ=酛[もと]/アルコールを生み出す酵母を育てるための酒造りの“素”)の入ったタンクに投入し、酵母を増やすとともに酵母を活性化させるための道具。酒母を温めて「糖化」を進行させることで酵母の“エサ”となる糖質をつくり、酵母に「発酵」を促していく。
目には見えないものの、酵母は“生き物”。人間と同じで、糖質(エサ)が少なすぎても、逆に与えすぎても元気に成長(発酵)しない。酵母の数とエサの量をバランスよく保つためには、酒母の繊細な温度調整がカギ。そのため、暖気樽の投入時間や動かし方、かき混ぜ方を調整する「暖気操作」という作業は、昔も今も酒母仕込みにおける重要な役割を担っている。
ただ、暖気樽はサイズがほぼ決まってしまうため、必然的にそれに準じた大きさのタンクで酒母を仕込まねばならず、大量生産には不向き。現在では、タンクのまわりに熱湯をまわすなどして暖気樽そのものを使わない酒造りも増えている。
また、暖気樽を用いた酒造りの場合でも、昔ながらの杉製のものではなく、金属製のものを使うのが一般的。それにより手入れの手間が省けるようになったが、金属製のものは温度が急激に伝導するため、暖気操作において杉製のものとは異なる加減が必要となった。
「糖化」と「発酵」を同時に進行させるのは日本酒の大きな特徴であり、これは杉製の暖気樽による絶妙な熱伝導があってこそ成せた業。剣菱を造るうえでは、この工程において今も杉製の暖気樽に勝る道具はない。
昔から酒造りの道具として使われてきた暖気樽。先人たちがなにか科学的な根拠に基づいて使用していたわけではないことはたしかだが、それが現代の道具さえも凌駕するほど理にかなっていることもまた、たしかである。