やるべきことは、ひとつ。
酒造りの“精鋭集団”
灘酒発展の理由はさまざまあるが、丹波杜氏(たんばとうじ)の存在も大きな要因のひとつといえる。
江戸時代中期、冬の農閑期の“出稼ぎ”としてその歴史をスタートさせた丹波杜氏たちは、持ち前の慎重さや誠実さ、思いやりの強さや粘り強い精神力を活かし、酒造りの舞台で類い稀な才能を発揮。卓越した技術を持った“精鋭集団”として全国にその名を轟かせ、今日に至るまで、日本一の酒造地帯・灘五郷における酒造りを支え続けてきた。
時代の流れとともに杜氏(蔵人[くらびと])たちの地方の垣根はなくなりつつあるが、現在も酒造りが始まる10月になると、剣菱には各地から約80名の蔵人が集結。酒造りが終わるまでの約半年間、蔵人たちは蔵に泊まり込み、朝昼夜と同じ釜の飯を食べ、同じ志のもと酒造りに励む。
ただ、剣菱では昔ながらの酒造りの手法を継承している点が多く、工程によっては他社の蔵とは使う道具も行う作業もまったく別物。他社の蔵での経験は剣菱ではそのまま活かせず、逆に剣菱での経験も他社の蔵ではそのまま活かせない。
剣菱で酒造りを行う蔵人は、毎年さまざま。先祖代々剣菱で酒造りを行っている蔵人もいれば、その年はじめて剣菱で酒造りを行う蔵人もいるが、その人選や役割分担などの一切は各蔵(全3蔵)の杜氏(酒造りにおける最高責任者)が決める。たとえ社長といえど、杜氏の決定に口を挟むことはできない。
剣菱の仕事は、杜氏が編成した“精鋭集団”を信頼することと、蔵の管理や食事の栄養管理などにより彼らが酒造りに励みやすい最適な環境をつくること。そして、杜氏と蔵人の仕事は、その信頼に結果で応えること。このような昔ながらのスタイル(形態)での酒造りは今や少なくなったが、互いに「これまでもそうやって剣菱の味を守り続けてきた」という自負がある。そしてそれが、確固たる信頼関係へと繋がっている。
ちなみに、蔵人たちが酒造りを終える春までに夕食時に飲む剣菱の本数は、1升瓶約1500本。酒を醸し、酒を愛す……。“精鋭集団”のそんな昔ながらの職人気質が、昔ながらの剣菱の味を支えている。